祇園のこと
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 お茶屋
在、祇園にはお茶屋が約90軒あります。名前だけで開店休業状態のところもありますから、実働しているのはもっと少ないはずです。
お茶屋は貸し座敷業と言えば分かりやすいのかもしれません。お客に対して、遊ぶ場所を提供し、心地よく過ごしてもらえる様、気をくばるのが仕事です。

「お茶屋遊び」という言葉を聞いた事があるかもしれませんが、イメージとしては、料理を頂きながら踊る舞妓を鑑賞する、といったところでしょうか。
そして、大部分の人が、「そんな事して、何が面白いんだ?」と思っているはずです。
それは間違いではありませんが、それでは表面しか見えていません。
お茶屋の座敷に上がる(宴会を催す)お客は、何らかの目的を持っています。例えば、お祝い、接待、会合などです。
つまり、飲食や芸・舞妓といった外から見える部分は、その目的を達成する為の演出にすぎない訳です。
お茶屋はお客の宴を全力でサポートしてくれる心強い味方なのです。

しかし、その宴の場所も、最近ではお茶屋から料亭などへ移行しつつあります。
つまり、お茶屋の主要業務が、貸し座敷業から、お酒を提供する事へ変わりつつあるのです。
そういったニーズの変化をとらえて、最近のお茶屋では、座敷の他にホームバーを持つところが多くなりました。

遊びのスタイルも時代とともに変わり、サービスの形態もそれに迎合せざるを得ないのが実情です。


 
 屋形
形(やかた)は子方屋(こかたや)とも呼ばれますが、置屋(おきや)といえば分かりやすいかもしれません。芸・舞妓の所属するプロダクションの様なものです。
現在、祇園に何軒の屋形があるのかは知りませんが、パッと思いつく屋形の名前を数えるに7軒はある様です。

屋形は、芸妓を志す少女の全てを受け持ちます。
今は義務教育があるので、中学校を卒業してから屋形へ入ります。中には屋形から中学校へ通う少女もいます。そして、一人前の芸妓になるまでを屋形で生活します。
勿論、その間にかかる莫大な費用は屋形が負担します。食事、着物、お稽古代、おこずかいなどの全てです。
その代り、一人前の芸妓になるまでは無給となります。

屋形では、舞妓になるまでの仕込みと呼ばれる期間に、言葉や立ち振舞いなどの躾、舞などの芸事の習得をさせます。
これらが及第点に達し、お許しがでて、やっと舞妓になれる訳です。
あまりの厳しさに、お仕込み期間の途中で挫折してしまう少女も多いと聞きます。

今では舞妓になる為に全国からの希望者が殺到するそうですが、その昔は、口減らしや借金のかたに、祇園へ身売りされてくる少女もあった様です。
しかし、以前、かなり大きい(年配の)お姐さんが、「ウチが祇園に売られてきた最後の子どす」と言われていましたので、少なくとも戦後になってからは身売りで祇園に来た少女はいないはずです。


 
 おちょぼ
妓になるまでの教育期間の少女を「仕込み」と言います。別名「おちょぼ」です。

舞妓を志す少女は屋形へ入り、そこで生活します。中学生の場合は、屋形から中学校へ通う場合もある様です。
この期間に、屋形の手伝いをしながら、花街の知識、言葉、基礎的な舞を習得します。
おちょぼ期間は1年程度ですが、舞の仕上がり次第で2年かかる場合もある様です。
舞妓になるには、第一に舞の出来が大切です。舞妓の仕事は舞を舞う事ですから、これができないと話になりません。
舞のお師匠さんに認められて、はじめて舞妓になる事のOKが出ます。

舞が仕上がる頃には、京都弁も板についてきます。そうなると、舞妓になる準備がはじまります。
まず、引いてもらうお姉さん芸妓を決めます。「引いてもらう」とは「後見人になってもらう」と言えばわかりやすいと思います。
そして、引いてもらうお姉さんの名前の一文字をもらって、自分の名前を決めます。お姉さんの名前が「豆○」なら、「豆×」とか「△豆」になる訳です。
名前は祇園の長い歴史もあり、その組み合わせが出切った感がありますから、過去にあった名前とバッティングする場合もある様です。
過去に名妓とうたわれた芸妓の名前は、それにあやかる意味で人気がありますが、名前には権利というものがある様で、その権利を持つ屋形の許可があって、はじめて名乗る事ができます。

お姉さんと名前が決まれば、後は、デビューの「見世出し(みせだし)」を待つだけです。


 
 半だら
世出しの決まったおちょぼは、約一ヶ月間、お座敷での実地研修を受けます。デビュー前の見習期間です。
見習期間中は舞妓と同じ姿ですが、だらりの帯が半分の長さで半だらり、通称「半だら」と呼ばれます。

見習い研修は、お座敷に呼ばれて行くというスタイルでなく、特定のお茶屋で待機して、そこのお座敷へ出るという形になる様です。
勿論、一人でお座敷に出るのではなく、そのお座敷へお声のかかっていた芸・舞妓や女将と一緒に、という事になります。
はじめてのお座敷ですから、接客をするというよりも、お姉さん芸・舞妓の指導で雑用をこなすのが主な仕事になるそうです。この時期に、お座敷とお客の雰囲気に慣れる事が肝心です。
研修場所は常に何かのお座敷がある祇園屈指の老舗「一力亭」が多い様です。一力は午後11時には閉まってしまいますから、遅い時間まで拘束されないのが好都合なのだそうです。

何年か前の温習会の頃、とある舞妓と祇園の北側を闊歩していると、2人の半だらが歩いているのを見かけました。
連れていた舞妓はおきゃんな妓でしたから、人目もはばからず「こんばんは、おおきに、お疲れさんどす」と大声で叫んでいましたが、半だらとはだいぶ距離が離れていた為か、お姉さん舞妓の声が聞こえなかった様です。
私はすかさず、おきゃん舞妓に諭しました。
「(2人の半だらが)どこの屋形の誰かは判ってるんだろうけど、これをネタにいぢめちゃダメだよ〜ん」

勿論、いらぬ心配なのですが、女の世界は怖いのです(注:実際に見た訳では無い)。


 
 舞妓
世出しの日取りは、陰陽道などのなまじない系を様々な角度から紐解き決められる様です。祇園では、何をするにも日を調べたり、げんをかついだりと、ビックリするぐらいそれらに気をつかった生活がされています。

晴れて見世出しの日を迎えると、男衆(おとこし)の晩酌でお姉さん芸妓と固めの盃を交わし、正式な舞妓となります。
暫くは、お姉さん芸妓に連れられてお座敷をまわり、お茶屋の女将やお客に顔を覚えてもらいます。
舞妓は人数が少なく人気がありますから、そのうち、一人でお座敷がかかる様になるのですが、最初はものすごく心細い様で、その危なげな様子にお客の方がハラハラしてしまいます。

出たて(デビューしたて)の舞妓はすぐにわかります。化粧が下手なんですね。白粉(おしろい)の下地に鬢付け油を塗るのですが、固い油を均一に伸ばすのにはコツがいるらしいのです。これがうまく出来てないと白粉がまだらになるんですね。

出たての頃の舞妓は、髪は「われしのぶ」という髪型で、襟(えり)の色は赤。紅を下唇だけにさします。
それが1年ぐらい経つと、髪型が「おふく」に変わり、紅を上唇にもさします。そして、時間とともに少しづつ襟の色が白っぽくなります。
大昔ですと、水揚げが済むと「われしのぶ」から「おふく」へと髪型が変わった様ですが、今は見世出しから1年程度をめどに変わる様です。
このタイミングには、明確なルールがありません。見世出しして2年以上も紅を上唇にささなかった妓もいますし、あっという間に変わってしまった妓もいます。
どうやら、その妓の見てくれから、屋形のおかあさんとお姉さん芸妓が相談して決める様です。

現在、祇園には舞妓が15人ぐらいしかいません。芸妓と合わせても90人程度です。
お茶屋が80軒程度ですから、日夜、お茶屋間では舞妓争奪戦が繰り広げられる訳です。
「おおきに、ありがとさんどす」と舞妓が挨拶したら、次の瞬間にはもう居ません。舞妓時代は超多忙を極めると言ってもいいでしょう。

そして、その超多忙の中でも、舞の鍛錬を怠らなかった妓だけが、芸妓になっても祇園を生き残れるのです。


 
 水揚げ
のページのここを最初に見たあなたは、なかなかの通ですね。そして、花街の外の人が一番知りたがっているのが、この「水揚げ(みずあげ)」の事だと思います。

今は少なくなりましたが、芸・舞妓は旦那(だんな)と呼ばれるスポンサーを持つのが普通とされていました。
水揚げとは、舞妓が初めての旦那を持つ儀式の事です。
大昔は、旦那の選択権は芸・舞妓には無く、旦那が見初めれば、お茶屋や屋形の女将、男衆が言いくるめて、強制的に添わされました。
水揚げには大きなお金が動きますから、屋形側から少しでも条件の良い旦那にお願いをする事もあった様です。
花街に「身売り」というイメージが根強く残っているのはこの為です。

断っておきますが、今の祇園には「水揚げ」そのものがありません。
たとえお客が、とある舞妓の旦那になりたいと願っても、その舞妓が旦那を持ちたいと思わない限り、それは叶わぬ夢に終わるのです。
今の祇園では、旦那云々というよりも、普通の恋愛としてとらえている芸・舞妓が多い様に思います。事実、落籍(ひか)されて(芸・舞妓を辞めて)、そのまま結婚してしまう例もあるからです。

「水揚げ」という儀式は、今ではその名前だけが残り、ありもしないそれが花街に暗い影だけを落としているのです。


 
 芸妓
妓も二十歳が近づいてくると、だいぶ大人っぽくなってきます。
祇園の舞妓はおぼこさ(幼さ)が命ですから、そうなくなってくると、そろそろ襟替えして芸妓になる事を考えなければなりません。
逆に、二十歳を過ぎても、容姿がおぼこい場合は屋形の判断でいつまでも舞妓のままという事もある訳です。
二十歳を過ぎた舞妓は、正月の始業式で「成人舞妓」として紹介されるのですが、本人達にとっては、嬉しいのか恥ずかしいのか複雑な気持ちなのだそうです。

舞妓として出る際に、屋形とは、お礼奉公の年季(ねん)の期間が決められています。中には、芸妓にはならずに舞妓で辞める妓もいます。そんな場合は少しだけ年季が長い場合もある様ですが、屋形によって違います。

舞妓が芸妓になる儀式を「襟替え(えりかえ)」といいます。襟替えが近づくと、どこからともなく旦那話が持ち上がりますから、その気のない妓にとっては煩わしい時期となる様です。
襟替えでは、さっこう呼ばれる髷のついた髪に、屋形のおかあさんやお姉さんにはさみを入れてもらいます。力士の断髪式の様なものでしょうか。

舞妓の髪は地毛で結いますが芸妓は鬘(かつら)です。ですから、芸妓になると同時にバッサリ髪を切ってしまう妓が多い様です。
芸妓になって何が嬉しいかというと、髪の毛を気にしながら眠らなくてもよくなる事なのだそうです。箱枕から頭が落ちて悲惨な状態になり、髪結いさん(日本髪を結ってくれるところ)へ直行する悲劇からの脱却が何より嬉しい様です。

ちなみに、芸妓には、舞専門の「立方(たちかた)」と演奏専門の「地方(じかた)」があります。なり手としては、圧倒的に立方の方が多く、地方の十年後が危ぶまれる昨今です。


 
 男衆
園の主役は女性なのですが、唯一その中に、男衆(おとこし)と呼ばれる男性が存在します。
男衆は、芸・舞妓に着物を着付けるのが仕事です。
その昔は、芸・舞妓に関するトラブルや、お茶屋と屋形の間に入って金銭的な折衝事もしていた様ですが、今は着物を着せるだけになってしまったそうです。

意外に思われるかもしれませんが、実は、芸・舞妓は自分で着付けのできる人が少ないのです。
勿論、自分でできる妓もいますが、馴染みの男衆以外が着付けると、「なんや気色わるい」などと言いながらモジモジしています。
やはり、帯などは男手で力強くしめた方が、ピシっと塩梅良く決まる様です。

男衆は、芸・舞妓にとっては一番身近な男性といえますから、芸・舞妓と男衆のロマンスなどを邪推してしまいますが、それは御法度なのです。何だか、飼い殺し状態ですね。

とはいえ、祇園に男衆は数える程しかいませんから、夕方はロマンスどころでは無い程、超多忙を極めるそうです。
都をどりの楽屋などは殆どパニックで、一度に着付ける人数が多い上に、おきゃんな芸・舞妓はお客からのお部屋見舞いなどにはしゃいでなかなか着物を着てくれないらしく、罵声が飛び交う戦場と化すそうです。

をどりの楽屋で思い出しましたが、立方(舞う人)と地方(演奏する人)の楽屋は別々の部屋で、立方の楽屋が「動」なら、地方の楽屋は「静」なのだそうです。
とある舞妓の話によると、ものすごく(雰囲気が)暗い…… いえ、上品なのだそうです。


 
 八坂女紅場学園
をどりが開催される祇園甲部歌 舞練場(かぶれんじょう)に付属する様に建つ八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)は芸事の専門学校で、通称「女紅場(にょこば)」と呼ばれていま す。学園と名がついてはいますが、実は、正式な学校法人では無いというのを誰かから聞いた事があります。
祇園の芸・舞妓の全員が女紅場の生徒です。噂では卒業が無いらしいのですが、定かではありません。
ここでは、舞は勿論、三味線、唄、笛、太鼓など、主だった芸事を習うことができます。
科目によって必須や選択がある様で、システムは普通の学校とあまり変わらない様です。

私はお客として、都をどりや温習会の時などに、馴染みの芸・舞妓へお部屋見舞いを届ける際、女紅場の門をくぐる程度なので、中の事はあまりわかりません。

基本的に女子校ですから、男は立入厳禁の秘密の花園なのです。


 
 舞妓になりたい症候群
園に関するホームページは探せば結構あるものです。
大抵のページには掲示板が設置されていて、祇園好きな人達が活発に意見を交換しておられます。
その中に、必ずいるのが「舞妓になりたい症候群」に陥った少女です。

その少女達が舞妓になりたい理由を掲示板に書いていますが、その文面を見るかぎりでは、おちょぼ時代さえも務まりそうにない感じです。
全てがそうだとは言いませんが、「綺麗だから」レベルの理由であれば、変身舞妓屋さんに行って写真を撮ってもらえば、それで充分満足できるはずですし、それをおすすめしたいですね。

彼女達は、芸・舞妓がサービス業である事に気づいていません。たとえそれを説明したとしても、ほとんどの少女がごく普通のサラリーマン家庭の子でしょうから、サービス業がどんな物であるかもわからないでしょう。
舞妓になりたい症候群に陥った少女がこの文章を読んでくれたとしたら、舞妓の華やかさよりも、花街で生きる為の資質を掲示板で問うていただきたいものです。

以前、とある舞妓に「何で舞妓になったん?」と、いけず(意地悪)な質問をした事がありました。
その妓は「ウチ、馬鹿やし、舞妓にしかなられへんかったんどす」と冗談を言っていましたが、この世界が馬鹿では務まらない事を、その妓が一番良く知っていたはずです。

祇園ファンとしては、舞妓志願者が少しでも増えるのは嬉しい限りなのですが、甘やかされた現代っ子にはかなり不向きになりつつあるのが寂しいところです。


 
 ウチら祇園が好きなんどす
の昔は芸・舞妓が800人ぐらいいた時期もあった祇園ですが、その規模も今は10分の1ぐらいになってしまいました。
少なくなったとはいえ、今でも舞妓の見世出しはポツリポツリとありますし、細々とでも伝統は受け継がれています。

祇園に入るとほっこりします。「ほっこり」とは、「ほっとする」とか「おちつく」という意味です。
そう思うお客がいる限り、祇園は、伝統を守りつつもその時代々々に合わせながら形態を変え、これからも続いていくのだと思います。

今年も、春には都をどり、秋には温習会、いつもと変わり無い祇園です。
京舞・井上流、舞妓、白川、巽橋、切り通し、みんなみんな大好きです。祇園の全部が大好きです。


 
 
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