見世出しの日取りは、陰陽道などのなまじない系を様々な角度から紐解き決められる様です。祇園では、何をするにも日を調べたり、げんをかついだりと、ビックリするぐらいそれらに気をつかった生活がされています。
晴れて見世出しの日を迎えると、男衆(おとこし)の晩酌でお姉さん芸妓と固めの盃を交わし、正式な舞妓となります。
暫くは、お姉さん芸妓に連れられてお座敷をまわり、お茶屋の女将やお客に顔を覚えてもらいます。
舞妓は人数が少なく人気がありますから、そのうち、一人でお座敷がかかる様になるのですが、最初はものすごく心細い様で、その危なげな様子にお客の方がハラハラしてしまいます。
出たて(デビューしたて)の舞妓はすぐにわかります。化粧が下手なんですね。白粉(おしろい)の下地に鬢付け油を塗るのですが、固い油を均一に伸ばすのにはコツがいるらしいのです。これがうまく出来てないと白粉がまだらになるんですね。
出たての頃の舞妓は、髪は「われしのぶ」という髪型で、襟(えり)の色は赤。紅を下唇だけにさします。
それが1年ぐらい経つと、髪型が「おふく」に変わり、紅を上唇にもさします。そして、時間とともに少しづつ襟の色が白っぽくなります。
大昔ですと、水揚げが済むと「われしのぶ」から「おふく」へと髪型が変わった様ですが、今は見世出しから1年程度をめどに変わる様です。
このタイミングには、明確なルールがありません。見世出しして2年以上も紅を上唇にささなかった妓もいますし、あっという間に変わってしまった妓もいます。
どうやら、その妓の見てくれから、屋形のおかあさんとお姉さん芸妓が相談して決める様です。
現在、祇園には舞妓が15人ぐらいしかいません。芸妓と合わせても90人程度です。
お茶屋が80軒程度ですから、日夜、お茶屋間では舞妓争奪戦が繰り広げられる訳です。
「おおきに、ありがとさんどす」と舞妓が挨拶したら、次の瞬間にはもう居ません。舞妓時代は超多忙を極めると言ってもいいでしょう。
そして、その超多忙の中でも、舞の鍛錬を怠らなかった妓だけが、芸妓になっても祇園を生き残れるのです。